コラム
柴田慶信さんのこと
柴田慶信さんのこと
6月のある日、秋田の大館へ柴田慶信さんを訪ねました。
ちょうど7月に個展をしていただいた伊藤嘉輝さんを角館に訪ねる目的もあり
絶好のチャンスとばかり、緑の窓口で「秋田大館フリーキップ」を買い込んだのでした。
朝6時40分の新幹線で盛岡まで。そこから、第3セクターのいわて銀河鉄道経由、花輪線に。
2両編成の小さな列車は、安比、八幡平など、山あいを抜け、車窓を覆うばかりの緑の中を走ります。
やがて、風景はどこまでも広がる田んぼに変わり、
お昼過ぎ、終点の大館に。東京から6時間の旅。
飛行機を使えば早いけれど、人を訪ね、はるばると見知らぬ土地へ赴くときめきは、
時間をかけ、移り変わる車窓の景色を通り抜けてこそのものに思えます。
降り立った大館の駅では、忠犬ハチ公が迎えてくれました。
大館は、秋田犬であるハチ公のふるさとなのでした。
駅から歩いて10数分。のどかな住宅地に「柴田慶信商店」はありました。
砂利道を挟んで、工房と事務所兼、柴田さんのコレクションを集めた「世界の曲げ物小さな展示館」。
事務所の前には、新品の軽トラが停まっていました。
柴田さんと初めてお目にかかったのは昨年の三越での催しの時でした。
そのころ、公私ともに「素敵なお弁当箱」を探していたわたしに
全国の手仕事に通じる「スタジオ木瓜」の日野明子さんが
柴田さんの曲げわっぱを薦めてくれて、ちょうど三越で催しがあり
いらしていると教えてくれたのです。
さっそく飛んで行くと、広々とした日本橋三越のスペースに
さまざまな美しいわっぱが並び、そのまん中に作務衣姿の柴田さんがいました。
話し掛けるとすぐに柴田さんは人なつこい笑顔を浮かべ
まるで、以前からの知人のように、親しい口調でとりとめなく話し始めました。
わっぱのこと、 お孫さんのこと、その年招かれて行くニューヨークのこと…。
とくに品物をすすめるでもなく
あるときは、淡々と愛おしむようにわっぱを語り
あるときは、子供のように目を輝かせて日々の発見を語る
そんな柴田さんの秋田弁に、わたしはすっかり引き込まれてしまいました。
「朝ごはんの食卓」展の企画を立てた時、
柴田さんのおひつが欲しいと思いました。
電話をすると、もう1年が経ったらしく、また三越の催しがあるとのこと。
駆け付けて、大館に伺う約束をすることができました。
柴田商店の事務所の裏には、製材された木が所狭しと積まれた資材置き場があります。
高い天井の小屋は「4mの杉を置きたくて」、自分で溶接して作ったそうです。
それだけでなく、事務所の脇、工房の壁、いたるところに木、木、木。
通気性に優れ、香りが良く、わっぱの素材としてこのうえない秋田杉。
その中で、柴田さんが使うのは樹齢200年以上の天然の秋田杉だけ。
けれど次第に稀少になるその素材を確保するために
「品物が売れてお金ができると、木を買ってしまう」と、柴田さんは言います。
積まれた木の中には、樹齢230年、伐採してから150年、製材してからでさえ100年も経つという
途方もない歴史を持つものもありました。
今年、67歳の柴田さんが、わっぱの道に入ったのは24歳のときのこと。
営林署で働いていたものの、本採用になる当てもなく
古くからあるわっぱの仕事なら、儲かりはしないがいいのではと
友人にすすめられ、結婚を機に取り組み始めたものの
どこかに弟子入りするわけでもなく、まったくの独学。
わっぱを買って来ては壊して仕組みを研究し、試行錯誤の苦しい時代が続きました。
「儲からないのに人寄せが好きだったから、3回、ちゃぶ台をひっくり返したな」
けれどやがてその努力は実を結び、40代半ばからは連続して全国伝統工芸展に入賞。
'86年には伝統工芸士の認定も受け、88年にはその作品がグッドデザイン商品にも選ばれました。
そのかたわら、パリの日本伝統工芸展で実演したり
アジア漆文化源流調査で、中国やベトナムなどを訪ねたり
ドイツ、ニューヨークなどの見本市へ出品したりと
しばしば海外に出かけるうち、世界のいたるところで古くから曲げ物が使われていることを知り
感銘を受け、収集を始めます。
事務所の一角にある「世界の曲げ物小さな展示館」
(と言っても、棚がコの字に並んでいるだけですが)には、
柴田さんが集めた世界各地や古い日本のたくさんの曲げ物が、
半ばホコリをかぶりつつ、ひしめいています。
もっとも、柴田さんひとりで集めたわけではなく
その熱意を知る人がくださった貴重な品も数知れず。
「心あれば、自然と集まるもんだね」と、柴田さんは目を細めます。
ヨーロッパのbox。
これはメジャー。
留め金が可愛い、昔のお弁当箱。
美しいフォルム。
スエーデンのローソク立て。
独学で拓いたわっぱの道、各国の工芸との出会い。
そんなキャリアと持ち前の好奇心のせいか柴田さんのわっぱの世界は、
既成概念にとらわれない広がりがあります。
展示室で見せてもらった、時代劇に出てくるようなろうそくを立てる「ライト」
(なんて言うんだったかな?忠臣蔵の討ち入りで吉良邸を照らしていた…)や大きな太鼓。
おまつりのための太鼓を頼まれた時は、意気に感じて大きな丸太1本買いました。
「オレ、そういうの弱いのよ」
でも、山車に乗せても大きすぎ、結局持て余されたと笑います。
また、最近ではシェーカー風の箱を頼まれたと
「わっぱ」のイメージを新たにする、モダンな入れ子のひと組を見せてくれました。
愛しそうに、箱から出して…。
桜の皮の綴じ。外はウロコ縫い。中は亀甲。
5段の入れ子のboxです。
そんな尽きることない遊び心とチャレンジ精神の一方で、
柴田さんはまた、妥協のない職人でもありました。
お弁当箱やおひつなど、なじみのわっぱを作る工房。
そこへ一歩足を踏み入れるなり、若いスタッフに柴田さんの厳しいチェックが入りました。
工房の仕事は分業です。
木取りや削り、曲げ加工、桜の皮による繊細な「綴じ」や、仕上げの削り。
それぞれの人が黙々と作業に取り組んでいます。
(煮沸して型に合わせて曲げると、紙のようにしなやかに曲がる)
こうして伝統の生活道具が生き続けるために、日々、手仕事に取り組む若者たちがいるんだな、と
浮ついた東京の喧噪とかけ離れた世界に、背筋の伸びる思いでした。
お話を聞き、たくさんの収集品を見せていただき、工房を見学し
たのしい数時間が過ぎたあと、
柴田さんがおもむろに「大館を一望できる場所に行ってみよう」と言い出しました。
買ったばかりの軽トラは、自家菜園を耕す小さな耕耘機を積みたい一心のもの。
ふたりしか乗れないし、荷物は濡れるし、と社員には極めて不評なその愛車でドライブとなりました。
アクセルを踏むと唸るようなクルマを飛ばして、高台の見晴らしのいい場所に連れて行ってくれたり
丹精込めた菜園に寄り道したり
(木を植えるのも好きなんだ、と仕事場の脇にはキウイやたらの木もありました。)
葉影で鴨が卵をあたためる場所を見せたくれたり
まるで悪戯っこが秘密の場所を自慢するように、嬉しそうに案内してくれる柴田さん。
広々とした田畑の中を抜けながら「ほんとに、豊かな土地ですね」と感心すると
「どこかから飛行機で帰ってくる時、この景色を見ながら思うんだな、
これからは、東北が日本の食料基地だ」と、柴田さんはうなづきました。
あきたこまちのふるさとである、この緑豊かな土地で
いつまでも子供のようなみずみずしいときめきとエネルギーを持って
素敵な作品を作り続けてください、柴田さん。
そう願わずには、いられませんでした。
2007年訪問
→柴田慶信さんの作品はこちら。