コラム
原田七重さんのこと
「ヨーロッパの森に住んでいる、クマさんの家にある食器のイメージなんです」。
どんなイメージで、うつわ作ってますか?
定番の質問に、う~んう~んと唸っていた原田さんが
ややあって、意を決したようにポツリ、言いました。
一瞬の沈黙ののち、わたしと武井さんは顔を見合わせ
「な~~るほど」と得心しました。
山梨の塩山に原田七重さんを訪ねたのは、10月の半ば。
「お昼を一緒に食べましょう」。
「じゃあ、武井さんも誘ってみようか」。
同じ塩山に住みながら、出会ったことのない原田さんと染織の武井春香さん。
せっかくだから、ということで合流することになったのです。
塩山駅で原田さんのクルマにピックアップしてもらい
まずは、武井さんのお家にほど近い恵林寺で待ち合わせ。
夢窓国師が開山し、武田信玄公の菩提寺でもある名刹「恵林寺」。
「う~ん、いいとこですね~」と感心している原田さんに
あれ、塩山に住んでいるのに…?と驚くと
聞けば、ここに移ってまだ4年目とのこと。
「あまり家から出ないんです。ここへ来たのは、2度目かな?」
じつは,原田さんは東京生まれの東京育ち。
ご実家は池袋の近くにあります。
以前、塩山を訪れたご両親がこの地を気に入って
「老後の住まい」を建てられたものの
都会生活を満喫しているおふたり。一向に移り住む気配なく
ご主人も画家という、自由業の原田さん夫妻が
縁もゆかりもなかったこの塩山に住むことになったそうです。
原田さんは、多摩美の彫刻科出身。
卒業後は「ガテン」を見て、テレビの大道具の仕事をはじめ
いくつかのバイトをしたあとに、コンピューターで地図を作る仕事に就きました。
「やきものも好きだったけど、年とってからの趣味にしようと思ってたんです」。
けれど、仕事のストレスから、おいおい取りかかろうと思っていた陶芸を
「もう、やってみようかな、と」始めてみたら
「とてもたのしかったんです」。
何もかも忘れて、ひたすらろくろに向かう時間。
それが、原田さんに「美大受験でデッザンに集中したときのような」
心地良さを思い出させました。
「ろくろが止まってるように見えました。
かたちを作ることよりも、集中することがたのしかったんです」。
やがて、陶芸教室に物足りなさを感じるようになった原田さんは
「収入が少なくなっても、自分でできる仕事がいいと思い」
瀬戸の窯業専門校に入ります。
そして、一年の訓練ののち、卒業生の多くは
窯元に就職か、陶芸家に弟子入りという道に進みますが
原田さんは自分でやってみることに決め、塩山に居を移します。
「塩山に来たのは前のワールドカップの年でした」。
窯は持ったものの、自分の方向性が決まらないまま日が過ぎていたとき、
「通ると思わなかった」まつもとクラフトフェアに「受かってしまって」。
わたしが、原田さんと出会ったのは、まさにその2007年のまつもとクラフトフェア。
会場をぐるりと回って、原っぱの隅で見つけた原田さんは
たしかに、モノを並べることさえ手慣れずあたふたと見えたけれど
その作品は魅力的で、思わず足が止まりました。
原田さん自身「雑貨屋さんのうつわが好きでした」と言う
その面影はあったものの、シンプルでいて愛らしいかたち、
渋めでいてやわらかな色あいなど、彼女ならではの魅力があふれ
実際、目を留めたお客さまが、彼女のまわりに数多く集まっていました。
丸い愛らしいポットを手に取って「キレはいいですか?」と質問すると
その人だかりにもかかわらず、原田さんはすぐ、近くの水場に行って試させてくれました。
水キレはとてもよく、「これください」といただいたポットは、
いまもPARTYのキッチンで毎日、活躍しています。
無造作に並べられていたピッチャーや小さいうつわにも心引かれ、
いつかお願いしたいと思っていたのが実現したのは
「cafe PARTY」というポットとカップの催しのとき。
機能的で、愛らしい原田さんのポットはもちろん人気者でした。
思わず通ってしまったクラフトフェアが、
のんびりやの原田さんに、いきなり作家としてのスタートを切らせたようです。
さて、今回、始めて会った原田さんと武井さん。
どちらも気取りない人柄で、作り手同士の話が弾み
結局、この日は終日3人で行動することになりました。
武井さんの工房を訪ね、お昼を食べ、お茶を飲み、
いちばんの目的の原田さんの家に着く頃には、日が傾いていました。
そして、工房で原田さんの作品を前にあれこれ話していたときに
飛び出したのが、冒頭の台詞。
けして乙女チックでなく、どちらかというと
シャイな「ガテン系」の男の子みたいに
ちょっと朴訥な原田さんから出た「森のクマさん」という言葉に
みょうに嬉しくなってしまいました。
作り手には、本人がどれだけ意識しているかの差はあっても
それぞれに目指す方向やイメージがあるはずです。
目標とする作り手だったり、古い焼きものであったり、あるいは憧れる食の風景であったり…。
多くが高みを目指す中で、てらいもなく
「森のクマさんの家にある食器」と言ってしまう原田さんが
私はあらためて好きになってしまったのです。
仕事のストレスから漠然と陶芸をはじめた原田さんに
衝撃を与えたのは、ルーシー・リーの展示でした。
「陶芸ってすごい、と思いました」。
小さな壷の下にかがみ込み、こんなに小さいのにと
その存在感に圧倒されました。
でも、同時に「この、スタイリッシュな感じは、自分じゃない」と思い、
自分の中には何があるのか考え続けていたときに
浮かんで来たのが森のクマさんだったと言います。
「だから、個展のときなど、小鉢もあったほうがいいかなあと思っても
クマさんの家にあるのが想像できないと、うまく作れないんです。」
だったら、小鉢は作らなくっていいんじゃない?
と、わたしも言ってしまいます。
小鉢を作る人はたくさんいるし、いつか原田さんに
クマさんがお浸しを食べてたりする姿が見えたとき、作ればいい。
たしかに、原田さんのうつわは、森のクマさんの家にあるのが似合います。
よけいな装飾がなくて質実、だけど、クマさんみたいに
ぬくぬくとしてどこかいとおしい。
採って来たばかりの森の木の実や果実、
それをざくざく切って作る素朴で栄養たっぷりのスープなんかが似合いそう。
厳しい森の冬を乗り切るために(本当は冬眠しちゃうのかもしれないけれど)
色味もかたちも暖かい。
「そうそう、これはクマさんちにあるね」「これもきっとある」。
原田さんのうつわを見ながら、いつしか武井さんとふたり
頭の中に、森のクマさんの家のイメージがひろがっていました。
たしかに原田さんの食器には、ルーシー・リーのように
ハッとさせる衝撃はないけれど
見る人を、使う人を、ホッとさせるものがあります。
そして、それは日常のうつわとして、とても嬉しいことだと思います。
ただ、ひとつ不満なのは、原田さんのうつわに
クマさんのうちにふさわしい大振りのものがないこと。
収穫をどっさり盛れる食器が欲しい、と
それはわたしのリクエストであり、きっとこれからの課題。
でも、いまは原田さんの心の風景を大事にして、モノづくりをたのしんで欲しいと思います。
そうして自然に生まれて来るものが、きっといちばん素敵なものだと思うから。
原田さんの工房をおいとまするとき、
もう、塩山はとっぷり暮れていました。
2010年10月19日訪問