コラム

深田容子さんのこと

fukada

2年前の春。1枚の個展の案内が届きました。
作者の名前に覚えがなく、首をかしげつつ
美しい粉引きの鉢の写真に誘われて
日本橋の「ギャラリー開」に出かけました。
はがきの地図を頼りに、路地の2階のギャラリーの扉を開けると
写真で見たやわらかな色味の粉引きとともに
これまで出会ったことのない、黄粉引きと呼ばれる暖かなベージュのうつわが並んでいました。
衒いなく、心になじむ風合いとかたち。お値段も手ごろだったので
すぐに「使い手」モードになって、 さんざん悩んで2点を選び
ようやくほっとして、かたわらで見守っていた作り手に聞きました。
「あの…DMをいただいたのですが、どうしてかしら」。
すると、深田さんが答えました。
「わたし、以前にPARTYさんに伺ってうつわを見てもらったことがあるんです」。

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長谷川奈津さんの知人だった深田さんは、長谷川さんの個展のときに背中を押され
作品を持って来てくれたそうです。
なのに、 そのときのわたしときたら一通り見たあと「また見せてくださいね」と素っ気なかったらしく
さらにそんなことがあったことさえ忘れていたというわけで
おそらくそのころの深田さんは、まだきっと拙かったのだろうとは思うものの
先見性の無さ、うつわやにあるまじき。
恥じ入りながらも、 あらためて深田さんに出会えたことが嬉しく
小躍りする気持ちでギャラリーをあとにしたのでした。
それから、少しずつ深田さんとのおつきあいが始まったある日
茨城県の龍ヶ崎にある彼女の家を訪ねました。
深田さんは染織家の小倉充子さんと古い平屋の一軒家を
住居兼仕事場として、長くシェアしていました。
じつは、わたしが訪ねる2年ほど前、深田さんは結婚していたのですが、
窯を置く仕事場が必要だったため、ご主人もそこに住むことになり、
小倉さんと3人のちょっと不思議な共同生活を送っていたのです。
けれど、それぞれの趣味で集められた古い家具や道具がしっくりなじむその家は
どこか懐かしく居心地よく
自作の土鍋でごはんを炊き、おかずを作る深田さんの暮らしぶりとよく似合い
用意していただいたお昼ごはんをいただきながら
仕事で来たことも忘れるような、緩やかでくつろぐひとときを過ごさせていただいたことでした。

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愛用の土鍋。このふたつで交互にごはんを炊く。ほかにおかず用にひとつ。

深田さんは、北海道の旭川生まれ。
ご両親の転勤が多かったため、中学から高校まで札幌の学校の寮で生活し
その後、女子美短大に入学して上京し、今度はお姉さんとふたり暮しになりました。
その後、ご両親が千葉の船橋に落ち着いたため
「大人になって、やっと家族が揃って暮らし始めたんです」。
全員が、飲むこと食べることが好きな一家の食卓は
いつもたくさんのお料理が並んで賑やかだったと言います。
深田さんの素直で気負いない人との接し方、自然で細やかな気配りは
そうしてつねにさまざまな人たちとの和の中で過ごして来たからかな、などと思います。

大学進学のとき、インテリアデザインをやりたいと美大をめざした深田さんは
予備校に通ううち、
「自分にはデザインよりも、手を使う職人的なことが合っている」と感じ
生活デザイン科に進み、さまざまな工芸を体験します。
その中でもっとも深田さんを引き付けたのが陶芸でした。
「2年生で陶芸を専攻したころには、もう陶芸家になろうと思っていました」。
卒業後、実家のそばの陶芸教室でさらにろくろや釉薬について学び
やがて、アシスタントとして働くようになります。
そうするうちに、学生時代からの友人が小倉さんと仕事場をシェアすることになり
誘われて一緒に窯を持つことになりました。
そして5年ほど経ったとき、その友人が結婚して工房を去ったのを機に自分の窯を買い
リュックに作品を詰めて、あちこちのお店を回り
本格的に陶芸家として始動したのでした。

深田さんが青木亮さんと出会ったのは、そんなころ。
工房をシェアする小倉充子さんが、陶芸家の長谷川奈津さんの学生時代からの親友だったことから
長谷川さんと知り合い、その師匠である青木さんに作品を見てもらったことが
深田さんにとって大きな転機になります。
それまで、きちんと作らなければと、何度もろくろでかたちを整え
縁を切り揃え、均一のうつわを作ることに心を砕いていた深田さんに
青木さんは自らろくろを実演しながら「勢いを殺すな」と、教えました。
肝心なのはお行儀よく揃えることでなく、勢いから生まれる一期一会の魅力。
生き生きとした土の表情やかたち。
だから、いつまでもろくろの上でいじることなく「早く作れ」と青木さんは言いました。
その言葉が、深田さんの気持ちを解き放ち
「飛んだ土が付いたまま焼き上がっても、それが味わいと思えるようになりました」
また、象嵌などいろいろな仕事をしていた深田さんに
粉引きに絞ることを薦めたのも青木さん。
どれもやりたいのはわかる。が、本当にやりたいのは何か。
問われたとき、深田さんはそもそも自分を焼きものの道に引き込んだ
大好きな「粉引き」を選びました。
粉引きで行くと決めた深田さんは
「白い粉引きは好きだったけれど、たくさんの人がやっているので」
試行錯誤ののち、化粧土に鉄分を混ぜたオリジナルの黄粉引きを生み出します。
やがて、グレー粉引きへとバリエーションが増え
深田容子ならではの、ゆたかな粉引きの世界が広がって行くことになります。

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今年の個展に先立ち、再び深田さんを訪ねました。
深田さんは今年、ご主人と工房のある新居を建て移り住んでいました。
高台に建つその家は、大きく取られた窓から仕切りの少ない空間いっぱいに日射しがあふれ
眼下には緑ゆたかな町の風景が広がります。
ふたりで塗った壁は、まだ未完成のところがあるけれど
「発展途上」のときめきが伝わって来ます。


仕事のあと、このソファでビールを飲むのが最高の楽しみ。
 
1階の工房の窓に向かったろくろで、鉢をひいてもらいました。
「勢いを殺さぬよう」深田さんはろくろの手を早く止めます。
また、内側の整形にもへらを使わず、布に粘土を包んだものを使います。
そうすると「手の感覚だけが頼りだから、リムのかたちもひとつひとつ違うものができるんです」。
同じアイテムを作っても、無理に揃えようとしないから
ときに深田さんの作品は、人のイメージを裏切ります。
「前のと違う」。そんな反応に少し戸惑いながら
それでも深田さんはそのときの気持ちや勢いを大切にうつわを作ります。

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「これから粉引き以外のものをやったとしても
パッと見て、深田容子が作ったと思われるうつわを作りたい。」
やわらかな表情で話す深田さんの言葉に、秘められた強さとエネルギーを感じます。

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キッチンの食卓でおしゃべりしながら、深田さんが見せてくれた初期の黄粉引き。
その色は、いまの暖かなベージュとひと味違い「黄」という名がうなづける
元気で新鮮な色でした。
「これもいいね。」
そんな会話から、この個展で深田さんは原点の黄粉引きを再び試みてくれることになりました。

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作るうつわは、自分が使いたいうつわ。
そんな深田さんの大切にする、日々の暮らしから生まれるうつわは
つねに新しい表情を見せて、わたしたちの心をとらえ続けてくれると思います。

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深田さんの新居。 愛車はモトクロスのバイクの部品やウエアの会社に勤めるご主人が
趣味でもあるバイクを乗せるためのもの。
深田さんも訪ねるたび、これで送り迎えしてくれる。

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fyjada
愛犬の「なつめ」と「きなこ」。

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洗面台のボウルは深田さんの作品。


洗面所の棚までお洒落。


工房のショーケース。アンティークの棚が、深田さんのうつわにぴったり。


壊れて付け替えた振り子時計の針は、小さくてお洒落。


窓辺には、深田さんが作った愛犬たちの置き物が!

2007年訪問 

 

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